親愛なる兄弟よ、
– これらの主張をする者は、自らの主張を証明する義務を負う。
世界的に知られているように、預言者ムハンマド(ムハンマド)のような、読み書きのできない人(ウミィ)が、トーラーやプトレマイオスの著作を利用したと言うのは、明白な嘘であり、中傷です。
「使徒よ!あなたは、我々の啓示を受ける前に、読み書きのできる人ではなかった。もしそうであったなら、虚偽の主張をする者たちは疑いを抱くであろう。」
(クモの巣、29/48)
この経文では、預言者ムハンマド(平和あれ彼に)は読み書きができなかったことが明確に述べられています。
もし彼が読み書きができ、そのような経文が存在したとしたら、彼の敵は皆それを手に入れて彼に不利な宣伝を行い、誰も彼を信じなくなっていたでしょう。信者でさえ彼から離れていただろう。これは、理性的な人なら誰でも取るべき道です。
そのようなことがない以上、そしてコーランには雄弁さ以外にも多くの実現した霊的な知らせが含まれている以上、確かにこのようにあらゆる点で奇跡的な書物は、ムハンマド(さ)が真の預言者であることを示す明白な証拠です。
– 誰かが、
「プトレマイオスはこれらの情報をタプタミウスからコピーした、あるいはモーセがトーラーの情報をイブラヒムの書簡からコピーしたのだ。」
もしそう言われたら、誰がこのばかげた状況を乗り越えることができるだろうか?
このような主張をする者は、論理学の最も重要な原則の一つである以下の点を認識しておくべきである。
「何かが可能であることは、それが必ず起こるという意味ではない。空想的な想像や可能性は、理性的な確信に取って代わることはできず、何の価値もない。」
例えば、黒海の海水が砂糖盆地へと流れ込むことは可能です。これは論理的にはあり得る話です。しかし、これには証拠がないため、何の価値もありません。
同様に、明日太陽が昇らない可能性はありますが、誰もそれを信じません。なぜなら、その可能性を示す論理的な証拠や兆候がないからです。
このように、すべての預言者のように
とんでもない、百万回とんでもない!
人間である以上、彼らが嘘をつく可能性も想像できるでしょう。しかし、そのような可能性は全く意味がありません。なぜなら、彼らの人生、神への奉仕、敬虔さ、威厳、誰からも嘘を聞いたことがないこと、預言者のしるしである奇跡を示したこと、そしてその他多くの素晴らしい行いが、そのような可能性をゼロにしているからです。
– だから、そのような誤謬を信じる主張には、もはや価値はない。
ご挨拶と祈りを込めて…
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