親愛なる兄弟よ、
クルアーン・キリーメ(コーラン)が足の洗浄を述べているように、ハディース(預言者の言葉)や法学書もそれを述べています。
イブン・ウマル(ラ)はこう言った:
(ブハリー、ムスリム)
また、ジャービル(ラ)はこう言っています。
しかしながら、足を洗うことが義務ではないと信じる者を異教徒と断定することはありません。なぜなら、アブダスト(儀式用洗顔)に関する経文における「アジュル」(足)という言葉は、もし文法的に「マンスーブ」として読めば足を洗うことが義務であることを明確に示しますが、「マジュルール」として読めば、それを明確に示しているとは言えないからです。なぜなら、「マジュルール」の「ジャル」は、近隣を意味する場合もあるように、本来の意味で用いられる場合もあるからです。ジャファリー派は、本来の意味で用いていると解釈しています。
アフル・スンナ・ワル・ジャマアは、可能な限り、異教徒であると断定することに反対する立場をとっています。つまり、一見異教を意味するような言葉や行動であっても、解釈の余地がある場合は、異教徒であると断定しないのです。たとえある言葉や行動に100の可能性があり、そのうち99が異教を意味し、1つだけが異教を意味しないとしても、異教を意味しない方の解釈が優先されるべきです。
ご挨拶と祈りを込めて…
質問で学ぶイスラム教