親愛なる兄弟よ、
祈りは言葉だけでなく、行動や実践によってもなされる。
したがって、神が宇宙に定めた規則に従う者は誰であっても、
実際に祈った
という意味です。
つまり、イスラム教徒は、言葉による祈りだけでなく、適切な方法で働き、結果を出す行動を自由意志で実行することで、自分の必要を満たすのです。
神は聖典の中で
「私に祈ってください。私が受け入れるように。」
(ムハンマドの主宰者、40/60)
とも言っている。
「人は努力と勤勉さによってのみ望むものを得ることができ、その努力と勤勉さの結果は必ず現れるだろう。」
とも言っている。
(ナジュム、53/39)
したがって、この2つの表現を全体として理解し、適用すれば、次のような結論が得られます。
人は働いて自分の必要を満たすべきであり、その際、仕事が順調に進むように、障害が取り除かれるように、そして事故や災難に遭わないように、神に祈るべきである。
祈りを捧げる行為は、結果とは別に、特別な、そして重要な礼拝行為です。祈りの状態は、人が神に最も近づける状態の一つです。心の内を、言葉で、意識的に神に伝える者は、真の礼拝を行っていると言えるでしょう。
神と使徒から伝えられた祈りの言葉も、言語を離れて心に響く。
(意識)
もちろん、他の目的を伴わずに祈りの際に使用することは許容されます。
祈りの結果は、この世で、あるいは永遠の国で、必ず実現するでしょう。
ごあいさつと祈りを込めて…
質問で学ぶイスラム教