親愛なる兄弟よ、
禁欲主義
それは何かに対する無関心であり、好意を抱かないことである。
用語として
禁欲
,
世俗的な価値観に囚われず、現状に満足すること
と表現されます。重要なのは、それを心からできることです。世俗の恵みに恵まれた人が、それらへの愛着を心に抱いていないなら、真の隠遁者です。一方、世俗の恵みを手に入れられない人が、それを手に入れるために燃え上がっているなら、貧しくても隠遁者ではありません。
人生とは、ある意味、与えられたものと奪われたものの積み重ねです。例えば
若さ、健康、地位、富…
このようなものは与えられるが、時として奪われることもある。普通の人々は与えられたものに甘んじ、奪われたものに嘆き悲しむ。真の勇気とは、与えられたものに甘んじず、奪われたことで悲しむことではない。
アリーは、コーランに基づいて、禁欲主義について次のように述べています。
「禁欲主義の全ては、クルアーンの2つの文に要約されている。」
あなたがたが、失ったことに悲しんだり、得たことに喜びすぎたりしないように。
「…あなたがたが、手放したものを後悔し、彼が与えてくださったものに傲慢にならないように。」
(ハディード、57/23)
過去に逃したことに心を痛めず、未来に期待しすぎない者は、禁欲主義の両方の側面を理解しているのである。
(ラディー著、『ネジュル・ベラーガ』、780頁)
預言者ムハンマド(さ)は、手で胸元を指さしてこう言われた。
「敬虔さはここにあります。敬虔さはここにあります。」
(ムスリム、善行、32)
禁欲もまた、心に属する特性である。
仕事に没頭して世俗を離れることを、それが禁欲主義であると誤解するのは間違いです。たとえ人が多忙な世俗的な活動に身を投じ、富や地位を築いたとしても、禁欲主義者であることは可能です。
禁欲主義の要点は、
-アリーが指摘したように、そして経文にも見られるように-
手から逃げていったものに悲しまず、与えられた恵みに甘んじないことだ。
「不信仰と迷信を除いて、あらゆる状態に感謝せよ。」
そう言えるようになるには、そのような禁欲の成果が必要なのです。
ごあいさつと祈りを込めて…
質問で学ぶイスラム教