
– 宇宙は膨張しているが、天国も地と天と同じくらい広大であるならば、天国も膨張しているのだろうか?それとも天国は膨張する宇宙よりもさらに広大なのか?
親愛なる兄弟よ、
この件に関して –
私たちが知る限りでは –
該当する経文や預言者の言葉はないため、この点について断言するのは適切ではありません。しかし、様々な手がかりを参考に、次のように述べることは可能です。
a)
クルアーンにおいて
「宇宙」
宇宙が膨張しているという事実は、楽園には当てはまりません。なぜなら楽園は永遠の存在だからです。
「宇宙/この世界」
その立地は比類がない。
b)
「あなたがたは、主の許しを得るため、そして敬虔な者たちのために備えられた、天と地ほどの広大な楽園に到達するために、互いに競い合いなさい。」
(アル・イムラーン3:133)
(その)節の文意において
– 人々が精神的に理解できるような描写がなされる一方で –
これらの拡大に比例して楽園も拡大する、という解釈は適切ではありません。
c)
リサレ・イ・ヌール(Risale-i Nur)において
「隠喩的なユーモア」
これは、私たちの疑問に対する答えを象徴している。つまり、来世がこの世と共に拡大する必要なく、宇宙が置かれている秩序と整然とした庭から、そこに苗木、庭、宿舎を育てているのである。
「この宇宙をよく見てみると、次のようなことが分かります。」
この宇宙には、あらゆる方向に広がり、根を張っている二つの要素が存在する。善悪、美醜、利益損失、完全欠陥、光闇、正道迷信、光火、信仰不信、従順反逆、恐怖愛といった、その影響と果実によって、この宇宙では対立するものが互いに衝突し、絶えず変化と変容を遂げている。まるで別の世界の産物の工房のように、その歯車は回り続ける。もちろん、互いに相反する二つの要素の枝と結果は永遠に続き、集中して互いに分離するだろう。その時、それは天国と地獄の姿で現れるだろう。なぜなら、永遠の国は、この現世から造られるからだ。もちろん、その基本的な要素は、永遠へと向かうだろう。そう、天国と地獄は、創造の樹から永遠へと伸びて曲がっていく枝の二つの果実であり、この宇宙の連鎖の二つの結果であり、この大洪水の二つの貯蔵庫であり、永遠に向かって流れ、波打つ存在の二つの水槽であり、慈悲と怒りの二つの顕現の場である。力の手が激しい動きで宇宙を揺さぶるとき、その二つの水槽は適切な物質で満たされるだろう。」
(『スズリ』、第29の言葉、第2の目的、531-532頁参照)
ご挨拶と祈りを込めて…
質問で学ぶイスラム教