親愛なる兄弟よ、
そして、アッラーを多く思い出してください。そうすれば、きっと幸運に恵まれるでしょう。
(アンファール、8/45)
ズィクル
,
それは神を思い起こし、神を覚えることです。
それは、クルアーンが私たちに伝えている明確な教えの一つです。
ズィクルには二種類あります。
1.
言葉で。
2.
心から。
ズィクル
すべての宗派において、それは最も重要な原則です。
「なくてはならないものだ。」
しかし、ズィクル(神への回想)の様式は、サフィ派(スーフィーの宗派)によって異なってきます。
ナクシュバンディー派
のような一部のサヒフ派は、静かに神を称えることを重視します。このような神を称えることを
「ひそひそと唱えること」
と言われる。
カディリー・タリーカ
一方、いくつかの宗派は、声を出して唱えることを好みました。このような唱え方を
「大声で唱えること」
と言われる。
大切なのは心の記憶である。言葉は単なる翻訳者である。
言葉だけで終わる念仏は、心に響かなければ、念仏とは言えない。
畑で働く農民、オフィスで働く事務員、工場で働く労働者が神を思い起こすことは、一種のズィクル(神への記憶)です。クルアーンは、そのような人々を次のように称賛しています。
商売や売買が、彼らを神への記憶、礼拝の確立、そして施し(ザカート)の履行からそらすことのない人々。
「ある人たちは、どんなに商売や取引が忙しくても、神を思い起こすこと、礼拝をすること、施しをすることを怠らない。」
(ヌール、24/37)
このような人々は、
「外は多量の砂漠、内は唯一の海」
彼らは、外の世界やそれにまつわることに心を煩わせられることのない人たちです。外の世界やそれに忙しくしていることは、彼らの心の世界を濁すことはありません。彼らは内なる世界で、唯一の存在の海で呼吸をしています。
あらゆる修行道において最も基本的な要素であるズィクル(神への回想)は、心を透明にし、繊細さを与えます。心を鏡に例えるなら、ズィクルは鏡についた埃や汚れを拭き取り、きれいに磨き上げ、ピカピカにします。そして、その心を霊感の息吹に敏感な受信機にします。
ごあいさつと祈りを込めて…
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