もしや、誰もが好きなように弁解できるのでしょうか?誰かが出てきて「ああ、神よ、私は創造されることを望んでいなかったのに、あなたは私を創造し、私が望んでいなかったのに私を試練にさらした。今、私が強制的に参加させられた試練のために私を裁くのか。」とでも言うのでしょうか?

回答

親愛なる兄弟よ、

まず、この真理を思い出して議論を始めたいと思います。問責し、責任を問うのは、全能の神のみの権利であり、被造物は神に質問したり、責任を問う権利を持たないのです。全宇宙の唯一の所有者であり、唯一の支配者であるのは、全能の神です。永遠の王である神は、ご自身の領域において、ご自身の意思のままに振る舞うことができます。しかし、全能の神は、全知全能であり、慈悲深く、公正です。その全ての行為は、知恵に満ち、慈悲深く、公正です。神の被造物に対して、神以上に慈悲深く、憐れみ深い者はいません。

上記の質問をした人々が、表面上は哀れんでいるように見せかけて、実際には自分の罪を償うための言い訳として提示しようとしているその人物は、全能の神の僕です。彼と私たちの関係は、単に人間としての側面においてのみです。彼を、母胎の中で一滴の水から慈悲と恵みによって人間の姿に変え、知恵を与え、そしてこの世で生きていくために必要な物質的および精神的なあらゆる手段を与えたのは、偉大なる神、アッラーです。したがって、その人物に対して、慈悲深い創造主よりも慈悲深い者は存在しません。


ハシール広場

動物でさえ、人間や他の動物に対して持つ権利が認められ、たとえ異教徒がイスラム教徒に対して持つ権利でさえ考慮される、至高の正義の裁判所が人々を待ち受けています。動物同士のわずかな権利でさえ、その本質を知るすべもない繊細な秤で量る絶対的な正義の神は、もちろん人間をもその絶対的な正義で裁くでしょう。


「神は、人が耐えきれる範囲でしか試練を与えない。」

(2:286)

神は、人々に耐えられない負担を課すことはないことを、明確に示しておられます。絶対的な正義の神であるアッラーは、すべての人にこの世の試練を乗り越えるための理性を与え、精神病者や成人年齢に達していない子供たちを試練から免除しておられます。

終末の日の裁きの場での計算については、クルアーンに次のように記されています。


「その日、我々はあらゆる人間集団を、それぞれの指導者と共に呼び集めるであろう。そして、誰が自分の帳簿を右手に渡されるか、彼らは自分の帳簿を、いかなる不正も加えられることなく読み上げるであろう。」

(イスラ、17/71)

皆さんへ

「業績簿を読みなさい!」

(イスラ17/14)と語られるであろう。そして、人は皆、自分の業の帳簿に何が書かれているのかを理解するだろう。


「全能の神は、この日、証人として魂と、キラーメン・カティビーンの天使たちを証人として十分だとおっしゃり、その後、口は封印され、手足は現世で何をしたかを語る。」

(ムスリム著『タージュ』第5巻、372頁より)。


「その日、我々は彼らの口を封じ、彼らが働いて得たものを彼らの手が我々に伝え、彼らの足が証言するであろう。」

(ヤシーン、36/65)

審判の日、我々は多神教徒の口を封じます。もはや彼らの口は話すことができません。彼らが世で犯した罪を彼らの手が我々に告げ、世で犯した悪行を彼らの足が証言します。アッラーはこれらの聖句で、審判の日、不信者と偽信者の計算の仕方を明らかにしています。アネス・ブン・マリックは言いました:

ある日、私たちは預言者ムハンマドのそばにいました。預言者ムハンマドは笑い、こう言いました。

「私がなぜ笑っているのか、分かりますか?」

と彼は言った。

「神と使徒が最もよく知っている。」

と私たちは言った。すると、預言者(ムハンマド)は言われた:

「僕が主と話すのを笑った。僕が言うだろう」


「ああ、私の主よ、あなたは私に不当な扱いをしないようにと私を保護してくださったのではないですか?」

アッラー


「はい、ずっとそうしていました。」


と言うでしょう。僕、

「私は自分の不利になるような証言を、自分以外の誰かにさせたりはしない。」

と彼らは言うだろう。しかし神はこうおっしゃるだろう。


「あなた自身が証言すること、そしてキラーメン・カティビーン(記録天使)の証言が、あなたに対する証拠として十分である。」


と告げ、その者の口を封じます。その者の臓器に:


「話せ!」


と言われ、臓器たちは自分がしていることを説明するでしょう。そして、その人に発言権が与えられ、その人は臓器たちにこう言うでしょう。

「とほほ、踏み潰されてしまえ。俺は君たちを守っていたのに。」

と言うでしょう。


ごあいさつと祈りを込めて…

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