親愛なる兄弟よ、
イスラム教にはそのような原則はありません。むしろ反対のことを言われています。
どうやらこの件は完全に誤解されているようです。この件に関する、ナサーイーが伝えたヘイサミーの言葉の意訳は以下の通りです。
預言者ムハンマドの弟子、アヌスが語る:
預言者ムハンマド(さっららっと)がそうおっしゃったとき、私は「預言者ムハンマドよ!私たちは皆、死ぬことを好まないのです」と言いました。すると、預言者ムハンマドはこうおっしゃいました。
(伝えたいのはこれだ):(許し・天国について):(罪に溺れ、悔い改めない堕落した者)−まもなく出会う−
ご覧の通り、このハディースに記されているメッセージは、質問で使用されている内容とは大きく異なります。
の
彼が述べたように、生涯誠実に神に仕えたにもかかわらず、無信仰のまま墓に入った者は「鉱山にある赤いマッチ棒ほど少ない」、つまりほとんどいない。彼らにも必ず何か欠点があったはずだ。
(アンカブート章29/5節)で言及されているのは、現世で神の意志に従って生き、神の戒めを遵守し、その報いを受けることを期待し、したがって来世の存在を信じる人々です。また、「死後、あるいは死後に人々がしたことの報いを受ける来世での裁きの時」とは、死後または死後に人々がしたことの報いを受けることを意味します。
人生は儚く、最終的な行き先は神の御前です。この世で苦難を耐え忍び、神が課した任務を果たすことで大きな試練を乗り越えた人々こそが、真の成功者です。彼らは善行を成し、善を広めるために努力したのです。それは自分自身の幸福のためです。なぜなら、人間の善行は遅かれ早かれ必ず自分自身に利益をもたらし、人間としての高潔さやイスラム教徒としての高潔さを高め、神の御前での価値と地位を高めるからです。
神への帰依を願う者、神の美しさに至ることを、あるいは約束された報いを得ることを望む者にとって、神が定めた時、約束の時が必ず来るでしょう。そして、その約束は実現するのです。それゆえ、その時が来るまで辛抱強く、その帰依に値する試練を乗り越え、美徳を勝ち取るために努力し、尽力すべきです。神は全てを聞き、全てを知る者です。全ての言葉、全てのささやき、全てのうめき声を耳にします。そして、唯一の聞き手です。全ての信仰、全ての意図、全ての行い、善悪全てを知り、唯一の知者です。祈りを聞き、崇拝を知る者は神のみであり、他者ではありません。
ご挨拶と祈りを込めて…
質問で学ぶイスラム教