– それとも、裕福なイスラム教徒が同じような状況に陥ることは宿命なのでしょうか?
親愛なる兄弟よ、
この聖句から
「富をねだらないこと」
そのような意味は導き出せません。イスラム教徒も経済的に強くなければなりません。イスラム教徒は強くなければならず、また統治に発言権を持たなければなりません。しかしながら、試練のために、神は罪深い人々が指導者になるのを妨げていません。
「このようにして、我々は各都市に罪人たちを指導者として据えた。彼らはそこで策略を弄し、罠を仕掛けようとするが、彼らは気づかないうちに自分自身を欺いているのだ。」
(アル・アンアーム、6/123)
辞書に
カリーエ
単語
「村、町」
という意味で、クルアーンにあります。
「町、都市、国」
このように、より一般的な意味でも用いられます。善悪を明確にするために、神が定めた法則に従い、多神教の暴君が支配していたメッカのように、当時や過去の多くの社会、都市、国々においても、人々を真実と善から遠ざけるために策略や罠を仕掛ける支配者が存在しました。神はこうして人々を悪と悪行によって試すのです。信仰、真実、善の道に忠実な者と、信仰の弱さゆえに悪に屈した者が区別されるように。実際、真実に対する罠を仕掛けようとする者は、気づかないうちに自分自身に罠を仕掛け、自分の魂と永遠の命を破壊するのです。
イブン・アシュールによれば、この経文は、静的で誤った伝統が根付いた定住社会に比べて、遊牧民や原始的な共同体の方が、より純粋な本質を持ち、真理を受け入れるのに適していることを示している(VIII, 47)。
(参照:ディヤネト・テフシル(Diyanet Tefsiri)、クルアーンの道(Kur’an Yolu)、ディヤネト・イシュレリ・バシュラギ(Diyanet İşleri Başkanlığı)出版物:II/368)
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– ムスリムは財産を持つべきでしょうか?つまり、富に関する基準はどのようなものでなければならないのでしょうか?
ご挨拶と祈りを込めて…
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